Học Tiếng Nhật Qua Audio 1: Tóm Tắt Bài '小さい人からの質問におっさんが答えるやつ' Của Hiroyuki

Học tiếng Nhật qua audio không chỉ giúp bạn luyện nghe mà còn làm tăng khả năng hiểu biết về ngữ điệu và sắc thái ngôn ngữ. Hôm nay, chúng ta sẽ cùng nhau đến với chủ đề thú vị, xoay quanh podcast ‘小さい人からの質問におっさんが答えるやつ’ của Hiroyuki.

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chan

9/3/20252 phút đọc

balck corded headphones
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Giới Thiệu Về Bài Học

Trước khi đến với phần audio, Chan cũng muốn giới thiệu sơ qua về chủ đề mà chúng ta chuẩn bị nghe và khơi gợi một chút quan điểm của mọi người.
Chan rất thích nghe Hiroyuki (mặc dù không thường nghe) vì có nhiều quan điểm của ổng khiến Chan đồng tình, kiểu nghe xong sẽ cảm thấy là "à giống mình", "mình cũng thấy vậy". Chủ đề của tập này cũng đơn giản thôi, giống kiểu trend tiktok "người dưới 25 hỏi, người trên 25 trả lời" á, thì 小さい人からの質問におっさんが答えるやつ tức có nghĩa là một 'ông già' trả lời câu hỏi của những người trẻ hơn.

Tập này dài gần 20 phút, Chan đã tóm tắt lại tầm 12-15 phút. Các chủ đề được đề cập đến như tự tử, cách giải quyết những lời phàn nàn của cha mẹ, và lời khuyên cho những bạn trẻ cảm thấy gia đình bất ổn hoặc bị cha mẹ kiểm soát.
Có vẻ vấn đề lớn của các bạn trẻ lại không xuất phát từ xã hội mà từ ngay chính gia đình của mình. Cụm mà mọi người sẽ nghĩ tới ngay đó chính là Toxic Family Dynamics - Môi trường gia đình này khiến các thành viên luôn căng thẳng, bồn chồn, thiếu an toàn, thậm chí gặp khó trong việc hình thành các mối quan hệ lành mạnh sau này. Nó cũng là nguyên nhân gây ra chấn thương tâm lý liên thế hệ (Intergenerational trauma) - những tổn thương tâm lý có thể truyền từ thế hệ trước qua các phản ứng sinh lý và hành vi, dẫn đến tăng độ nhạy cảm với lo âu, stress, thậm chí bệnh lý tim mạch và đột quỵ.

Vậy thì tại sao lại như vậy? Nhiều người lớn lên trong môi trường vừa có tình yêu thương, vừa có những hành vi gây tổn thương, và điều này khiến con cái cảm thấy rất mâu thuẫn.

Vậy thì bây giờ mình sẽ cùng lắng nghe bài audio xem quan điểm của Hiroyuki với các vấn đề của người trẻ nha, bạn có thể xem video youtube chính chủ tại đây!

さて、今回ですね、私たちが一緒に深くこう掘り下げていきたいのは、ひろゆきさんのYouTubeチャンネル。そこから「小さい人からの質問にオッサンが答えるやつ」っていう、あの1本の動画なんです。これ子供たちとか、まあ若い世代から寄せられた質問が、ときに本当に息を飲むほどシリアスで。それにひろゆきさんが、まあ彼独特の視点で答えてるんですよね。

手元にある記録を見てると、本当に、何ていうか、胸が締め付けられるような悩みが結構多くて。自殺のこと、いじめ、家族との関係、将来どうするか、ジェンダーの悩み、あと心の健康とか感覚過敏まで。なんかもう現代を生きていく上での色々な生きづらさがぎゅっと詰まっている感じがしますね。

で、今回の私たちの探求の目的というかやりたいことはですね、こうした問いに対するひろゆきさんのときにユニークで、ときに、うーん、すごく直接的な視点やアドバイス。その中からあなた自身の考えをこう刺激するような発見を一緒に見つけていけたらなと。彼の独特なロジックとか思考法を紐解きつつ、あなたならどう考えるかなっていうそのヒントを探っていきましょう。

生きづらさと向き合うこと

じゃあ早速、最初のテーマ、生きづらさと向き合うことからいきましょうか。まず「なぜ自殺をしてはいけないのか」。これ本当に重い問いですよね。で、ひろゆきさんの答えは「絶対的な理由はない」ってまず言ってるんですよね。その上で自分が、まあ、友達とか知り合いに死なれるのが嫌だからっていう、すごく個人的な、ある意味エゴともいえる理由を挙げてて。で、「自分が死んだら周りは悲しむ?」って聞いてみて、1人でも悲しむ人がいるなら「その人のために生きればいいんじゃないか」と、そういう提案ですね。

ええ、これあの、非常に興味深いのは、道徳的なこうすべきっていう規範じゃなくて、ごく個人的な感情。つまり、他人が死ぬことで自分が不快になるっていうのを理由の中心に持ってきてる点ですよね。しかもそれを相手に確認させるっていう具体的なアクションを促してる。これは非常にこうプラグマティックというか、理想論じゃなくて、現実的に何が機能するかに重きを置いてるアプローチといえるんじゃないでしょうか。感情で説得するんじゃなくて、具体的な行動と、その他者の反応によって、生きる理由を見つけさせようとしている感じがしますね。

なるほど。確かに道徳的にダメだからって言われるより、誰か1人が悲しいよって言ってくれる方が、なんかずっとリアルな繋がりを感じられるかもしれませんね。一方で「生きることが辛い」っていう、もっとこう漠然とした悩みにはどう答えてるんでしょう?ああ、それに対してはまず、具体的にじゃあ何が辛いのかを特定することを結構重視してますね。で、問題を切り分けて考えてる。例えば、家族の問題みたいに児童相談所とか外部の助けを借りてこう対処できる可能性があるもの。それと、例として上げてたあの群発頭痛みたいに、原因も治療法もはっきりしなくて、個人の努力じゃどうにもならないレベルの苦痛。後者のような本当に極限的な状況を除けば、大抵の問題は死ななくても、まあなんとかなるんじゃないかっていうスタンスのようです。

なるほど。つまり「辛い」っていう感情にただただ飲み込まれる前に、一歩引いて、その原因を冷静に分析して、対処可能なのか、それともこれはもう今は耐えるしかない類のものなのか見極めようってことですね。そういいうことですね。群発頭痛の例を出すあたり、本当に逃れがたい苦痛があることへの理解を示しつつ、でもそれ以外の多くはやりようがあるはずだって言ってるような。ええ、一般論でただ励ますんじゃなくて、問題解決のための具体的なステップをこう踏ませようとする姿勢が伺えますね。まずは問題の性質を見極めるのが第一歩だと。
対人関係、家族との葛藤

うんうん。では次のテーマ、対人関係、家族との葛藤に移りましょうか。学校での無視への対処法。これもまたひろゆきさんらしいというかユニークでした。「このペンもらうけど嫌なら言ってね」みたいに相手の物を取るふりとかして、無視し続けられない状況をこう意図的に作るっていう提案。これってかなり思い切った手ですよね?なんか波風立てることを全然恐れてないというか。

ええ、まあ、無視っていう、ある種受動的な攻撃に対して、あえて能動的に関わりを強要することで、状況を動かそうっていう戦略ですよね。相手に反応せざるを得ない状況を作り出して、無視っていう行為自体を成り立たなくさせるみたいな。まあ、効果がどうかは別として、ただ耐える以外の選択肢、それもかなり能動的なやつを示してる点は注目に値するかなと。

うんうん。受動的に待つんじゃなくて、自分から仕掛けて状況を変えると。でも今度は「親の愚痴を聞くのが辛い」っていう悩み。これに対してはまたちょっと違うアプローチでしたよね。それは「普通のことだよ」と、「雨の音だと思って聞き流すスキルを身につけた方が楽になるよ」って。これはなんか、ある種の諦めにも聞こえなくもないですけど。

ここではその変えられない外部環境に対する対処法として、自分の受け止め方を変えることを提案してるんですね。他人を変えるコストとか、その困難さを考えると、自分の内部処理を変える方が、まあ、効率的だっていう発想なんでしょう。諦観と取るか、現実的な適用戦略と取るかは、うーん、状況とか個人の価値観にもよるかもしれませんけどね。ただ、聞き流すスキルっていうのもある種の自己防衛術ではありますよね。

なるほど。相手を変えようと頑張るのと、自分の受け止め方を変える、あるいはもうその状況から離れることの使い分けみたいなのが、なんか見えてくる気がします。その流れで、親が部屋に勝手に入ってきたり、物を捨てたりする問題。これ相談者が「うちは一般的な幸せな家庭です」ってわざわざ前置きしていることに、ひろゆきさんが「え、本当にそうなの?」って疑問を投げかけてました。

ええ。その「幸せな家庭」っていう自己認識自体が、もしかしたら親からの刷り込みとか、あるいはこう恐怖心からくる自己正当化なんじゃないかって指摘してるんですよね。これ非常に鋭い点だと思います。嫌だとか、これ必要だって言えないのは無意識に親を恐れてるからじゃないかと。そして、自分たちの家族の普通が外の世界の普通と違うかもしれないよっていう視点も提供してる。インドでは牛肉を食べないのが普通、みたいな例を出して、文化とか環境によって常識は変わるんだってことを示唆してますね。

自分の置かれた環境を客観的に見るのって難しいですもんね。そしてもっと深刻なケース。「あれしろ、これしろ」って命令して、従っても従わなくても怒鳴るような親に対しては、「まともな人間じゃない」「変えようとしても無駄」「離れるのが正解」ってかなり踏み込んで断言してます。具体的な避難先として、児童相談所とか児童養護施設をあげてましたね。これはもう関係修復とかじゃなくて脱出を推奨してる。

ここではもう親であっても他者を支配して、自分の感情のはけ口みたいに利用するタイプの人間はいるんだっていう厳しい現実を直視させてる感じですね。そして、そういう相手を変えようと試みるより、まず自分の安全と、まあ、精神的な健康を守るために物理的に距離を取ることが最優先なんだっていう論理が一貫してるように見えます。関係改善の努力が無駄、あるいは危険でさえある場合の最終手段としての離脱ですね。

さらに、精神科に入院した後、家族からの扱いが悪くなったケース。お父さんの暴力、お母さんの監視とか依存、お姉さんからは「死ね」って言われる。で、相談者本人は「全部私が悪いんだ」って思い込んでしまっている。これに対してはひろゆきさんは「いや、それ洗脳されてるよ」「完全に間違ってる」ってすごく強く否定してました。

ええ、これはもう明確な虐待状況であって、特に暴力とか「死ね」みたいな暴言は、法的に見てもDV、ドメスティックバイオレンスに該当する可能性が高いってハッキリ指摘してますね。加害者は家族であって、被害者は相談者なんだっていう事実をはっきりと突きつけてる。自分が悪いっていう思い込みは、加害者による心理的な操作、つまり洗脳の結果である可能性が高いと。そして「一刻も早く家を出て公的な機関、児童相談所とかに助けを求めるべきだ」と。ここでもやっぱり「離れる」ことが絶対的な優先事項として提示されてますね。被害者意識から脱却して安全な場所にうつること、それが全ての始まりなんだと。

うーん、これら家族問題へのアドバイスを見てると、状況の深刻さのレベルに応じて聞き流す、つまり適応するっていう段階から、いやそれは違うと意思表示する、対峙する段階。そしてもう物理的に離れる、避難する段階へと、推奨される行動がこう段階的に変わっていくのがよくわかりますね。

まさに。状況分析に基づいて最も現実的で、かつ効果的だと、まあ彼が判断する対処法を選んでるように見えますね。変えられないものへのある種の諦めと、変えるべきもの、あるいは離れるべきものへの断固とした行動、その見極めが彼の思考の根幹にあるのかもしれません。

自己同一性、進路、自己主張

なるほど。じゃあ次のテーマいきましょうか。自己同一性、進路、自己主張についてです。親に進路を邪魔されそうで怖いっていう悩み。これに対するひろゆきさんの答えも、なかなか、うーん、手厳しいというか。「邪魔されるのは当然でしょ」と。「人生なんて思い通りにいかないのが当たり前なんだから」って。で、「本当にやりたいことだったら、親の反対ごときで諦めるな、乗り越えろ」と。「簡単に諦めるくらいなら、その程度の思い入れだったってことだよ」みたいな言い方ですね。

ここではその親の反対っていうのを、人生で遭遇するであろういろんな障害の1つとして相対化してる感じですね。例えば、お金が足りないとか、能力が足りないとか、競争相手がいるとか、目標達成を妨げる要因ってたくさんあるじゃないですか。親の反対もその中の1つにすぎないんだと。そしてその障害を乗り越えようとする意思の強さこそが本気度の証明なんだっていう考え方。ある意味試練として捉えられているのかもしれませんね。

試練ですか?ああ、なるほど。確かにそう捉えれば乗り越えるモチベーションにもなるかもしれませんね。次に性同一性障害に関してです。学校で本人の希望する性、つまり心の性で扱ってもらったり、着替える場所を配慮してもらったりすること。これって親の許可なしに本人の希望だけで行われるべきなのかっていう問いがありました。

これに対してはアメリカでの政権交代による、あのLGBTQプラス政策の変遷を例に上げてましたね。つまり、社会的な扱いやルールっていうのは、文化とか時代、政治状況によって変わりうるものなんだと。だから「こうあるべき」っていう絶対的な正解はないんだって言ってるんですね。そして他人とか社会全体の考え方を一律に変えることの難しさも指摘しています。
ということは、ここでも社会が変わるのを待つというよりは、今の状況の中で、じゃあどう立ち回るかっていう視点なんでしょうか?うーん、そういうニュアンスが強いですね。「社会規範とか制度の相対性を強調することで、べき論で硬直的に考えるんじゃなくて、変化していく状況の中でどう自分を守って、どう自分の望む状況に近づけていくか」っていう、もっと現実的な対処法に目を向けさせようとしているように見えますね。
なるほど。ではもっと個人的なレベルでの話。FTM、つまり心は男性で体は女性で、両性愛者の相談者がいると。親友から「え、女子と遊べばいいのに」とか「男かよ」みたいな無理解な言葉をかけられて傷ついていると。で、正直に言い返す「べきか?」。もし言うなら「何て言えばいい?」って悩んでるんですね。

これに対してひろゆきさんは「正直に言い返した方がいい」って結構明確にアドバイスしてるんです。そしてその理由がまた興味深いんですよ。「正直に話してみて、それを受け入れてくれる人こそが本当の友人なんだ」と。特にマイノリティの立場にある人は、ある意味正直さを使って人間関係を「ふるいにかける」必要があるんだって言ってるんです。

「ふるいにかける」?なんか厳しい言葉のようにも聞こえますけど、本音で付き合えない関係は結局長続きしないってことでしょうか?まあ、そうですね。真の人間関係っていうのはやっぱり相互理解と受容の上に成り立つものですから、特に社会的なマジョリティとは違う経験を持つマイノリティにとっては、自己開示を通じて本当に自分を理解して尊重してくれる人を見極めていくことが、長期的に見て自分らしく安心して生きていくために戦略的に重要になるっていう視点ですよね。傷つくリスクを恐れずに正直であること、それが結果的に、より質の高い人間関係に繋がる可能性があると。

最後に感覚過敏についてです。そのことを知っているはずなのに、親とか先生がそれでも大声を出してしまうのはなぜか、どうすればいいかという問い。ひろゆきさんはこれを必ずしも悪意とは捉えてないんですよね。

ええ、そうなんです。単に忘れっぽいだけかもしれないし、感情のコントロールが苦手なだけかもしれないって相手の行動の背景にある可能性をいくつか提示してるんですね。悪意と決めつけずに、まあ能力的な限界とか特性かもしれないっていう視点。そしてここでも解決策として提案されてるのは「相手を変えようとすることじゃなくて自衛」なんです。ノイズキャンセリング機能付きのヘッドセットを使うとか、自分でコントロール可能な方法で自分の環境を守る方が現実的じゃないか、と。

またしても他者を変えるより自己対処っていう方向性ですね。一貫してる。そうですね。一貫してコントロールできない外部の要因にエネルギーを費やすよりも、自分がコントロールできる範囲で最善を尽くすっていう姿勢が見て取れます。それが自己防衛であれ、自己適応であれということでしょうね。

いや、ここまでいろんな悩みに対するひろゆきさんのアドバイスを一緒に見てきましたけど、全体を通して感じるのは、やっぱりこう徹底した現実主義。それときに非常に直接的で、ある意味ドライともいえるほどの合理性ですかね。状況を冷静に分析して、感情論に流されずに具体的な行動を促す。それが聞き流すことであれ、戦うことであれ、逃げることであれ。

ええ、そうですね。理想論とか感情論よりも現実的にどうすれば状況が少しでもマシになるかとか、どうすれば自分が生き延びられるかっていう、ある種のサバイバルの視点が強いように感じますね。そしてそのための手段として、自己適応、つまり自分が変わるとか受け流すとか。それから直接行動、主張するとか戦うとか。そして物理的離脱、逃げるとか距離を置くとか。こういった選択肢を状況に応じて提示している。この、なんていうか、3つのバランス感覚が彼の思考の特徴なのかもしれないですね。

そこで最後に、これを今聞いてくださってるあなたに問いかけてみたいと思うんです。もしあなたがどうしようもなく難しい状況とか、あるいはこじれてしまった人間関係に直面したとしたら、今見てきたような「自分が変わる、適応する」、「相手に働きかける、主張する」、そして「その場から離れる、逃げる」っていう選択肢。この間であなた自身はなにを基準にしてどのようにバランスを取りますか?他者を変えようとする努力はどこまで続けるべきで、自分を変える、あるいはその場を去るっていう決断はどのタイミングでするべきなんでしょうか?その境界線はあなたにとってどこにあるのか?ちょっと立ち止まって考えてみる、そんな時間になれば嬉しいです。

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